信貴山生駒国定公園、展望台を後にして信貴山真言宗 総本山 朝護孫子寺 に行きました。

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今から1400余年前、聖徳太子は、物部守屋を討伐せんと河内稲村城へ向かう途中、この山に至りました。太子が戦勝の祈願をするや、天空遥かに毘沙門天王が出現され、必勝の秘法を授かりました。その日は奇しくも寅年、寅日、寅の刻でありました。太子はその御加護で勝利し、自ら天王の御尊像を刻み伽藍を創建、信ずべし貴ぶべき山『信貴山』と名付けました。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。

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山内随一の優雅な建物で、扇垂木様式(垂木が扇の形に広がっている)という、非常に珍しい建て方は、見事な曲線美を現しています。

『護摩の毘沙門さん』、『護摩の千手院』として広く知られており、運気上昇の寺として有名で、毎朝午前6時より護摩祈祷が厳修されております。また申し込みにより随時護摩が焚かれます。

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本堂に上がりました。ご本尊毘沙門天王を安置し奉

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敏達天皇 西暦582 寅年寅の日寅の刻、聖徳太子この山で毘沙門天王を感得される。
用明天皇 西暦587 7月3日聖徳太子、御本尊の御加護により佛敵守屋を討伐し、御自ら毘沙門天王像を刻み、この山の守護本尊として祀られる。
醍醐天皇 西暦910 当山中興開山命蓮上人毘沙門堂の伽藍堂塔を建立善美をつくす。
醍醐天皇御重病のとき、当山毘沙門天王の御加護により御全快され、朝護孫子寺の勅号をたまわり、以来信貴山朝護孫子寺と称す。
近衛天皇 西暦1150 現在の国宝信貴山縁起絵巻(三巻)この頃完成。
後醍醐天皇 西暦1333 大塔宮護良親王当山に在陣勤王の士を集めらる楠木正成この山に信仰あり。
後奈良天皇 西暦1532 この頃、筒井順昭、武田信玄等、当山に信仰あり。
正親町天皇 西暦1577 松永久秀この山に信貴山城を築く。
織田信長の攻略に遭い、一山堂塔信貴山城すべて灰燼に帰す。
後陽成天皇 西暦1610 豊臣秀頼公の祈願所として本堂及諸堂を再建す。

 

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家族で記念撮影です。

久しぶりに会った三男と過ごす一日は早くその後昼食を済ませ、長男が好きな肉まんを買って家に

帰りました。仕事がら、年末、お盆には多忙で一緒に過ごすことの無い三男、今度はいつ会える

でしょう。