8月19日、お盆を終えてほっとひと息、主人とドライブして来ました。

どこに連れて行ってくれるのかと楽しみにしていました。

行き先は丹波篠山城です。

何の計画性もない、行き当たりばったりのハラハラドライヴです。

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どうもどこか変です。観光客が居ない!何かイベントがあって建物をたたんでいる様子です。

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お堀沿いの道をぐるっと回って行きます。

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石垣に囲まれた道を行くとここのメインの大書院は休館でした。

まあ・・それなら折角来たのだから写真を撮りつつゆっくりと散策と行きましょう。

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1609年(慶長14年)徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築くことによって、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされる。

篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、藤堂高虎が縄張を担当した。普請総奉行を池田輝政が務め、15か国20の大名の助役による天下普請により6か月で完成した。

明和3年、藩校「振徳堂」を建設。

以後、松平三家八代、青山家六代の居城として明治を迎えた。

明治6年から城郭の建造物は取り壊され始める。二の丸の大書院(おおしょいん)は取り壊しに多くの費用が必要な事や旧藩士の安藤直紀の働きかけで保存される事になった。しかし、取り壊しから免れた大書院も1944年(昭和19年)1月6日に失火により焼失している。明治維新後、城地には役所や学校などが建てられた。

大書院は木造住宅建築としては非常に規模が大きく、現存する同様の建物の中では京都二条城の二の丸御殿に匹敵する建物です。二条城の御殿は将軍が上洛したときの宿所となった第一級の建物ですから、大書院は一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えたものといえます。

大書院を復元するにあたっては、古絵図、古写真、発掘踏査等の総合的な学術調査が実施され、その成果に基づいて設計と建築が行われ、2000年3月に完成しました。復元された建物は平屋建てで北(妻側)を建物正面とします。床面積は739.33平方メートル、棟高は12.88メートルあり、屋根は入母屋造り、こけら葺きとなっています。

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大書院を通り過ぎると木立の中に祭られている神社がありました。誰が祭られているかを調べてくるのを忘れてしまいました。天守台です。ここに上がります。

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天守台です。ここに上がります。平城ではありますが天守台まで上がるといい眺めです。前に見える山は丹波富士と呼ばれています。

きっとここは星空撮影にはぴったりだと思います。

堀の周りはずっと桜が植えてあります。春はすばらしい眺めでしょう。

帰りは海辺の夕陽が撮りたかったので4時ごろ引き上げます。